院長の中沼 寛明(なかぬま ひろあき/M.D., Ph.D.)です。
シリーズ「眠りの階段」も第4回になりました。第1回で、「眠れない夜」と「不健康な睡眠」は同じではない、とお伝えしました。今回は、その境界線をていねいに描いてみます。誰にでも訪れる「眠れない夜」と、医学的に対処を考える「不眠症」のあいだには、どんな線が引かれているのか。脅すためではなく、落ち着いて知っていただくために、ご一緒に見ていきましょう。
「眠れない夜」は、異常ではありません
まず、いちばん大切なところから。一時的に眠れない夜そのものは、多くの場合、それ自体が病気というわけではありません。
大事な発表の前夜に寝つけない。気がかりで夜中に目が覚める。旅先で眠りが浅くなる。こうした一時的な乱れは、むしろ体が状況に反応している自然な姿だと考えられています。数日から数週間のうちに、きっかけが落ち着けば眠りも戻っていく。そうした一過性の不眠は、誰の人生にも折々に訪れます。ここで「眠れない=おかしい」と思い込むと、かえって眠りへの緊張が高まり、話がややこしくなります。この点には、後ほど立ち返ります。ただし、眠りにくさが長くつづく場合や、気分の落ち込みなど別の不調をともなう場合には、その背景を医療者が確かめることが役に立つことがあります。「一過性だから大丈夫」と決めつけず、つづくつらさには目を向けていただければと思います。
では、どこからが「不眠症」なのか
一時的な眠れなさが自然な反応だとすれば、「不眠症」と呼ばれる状態は何が違うのでしょうか。ここでお伝えするのは、ご自身を診断するためのチェックリストではありません。専門家がどんな角度から総合的に眺めているのか、その「複数の側面」の例として、やさしく整理してみます。
- 夜の症状:寝つくのに時間がかかる、夜中に何度も目が覚める、朝早く目が覚めてその後眠れない、といった眠りにくさがみられる。
- 日中への影響:その結果、疲れやすさ、集中しづらさ、気分の落ち込みなどが生じ、生活のどこかに支障や苦痛が出ている。
- つづき方:一晩だけでなく、たびたび、ある程度の期間にわたってつづいている。
- 眠る機会はあるのに:眠る時間や環境は十分にあるのに眠れない。夜勤や多忙で物理的に眠る時間がとれない状況とは、区別して考える。
大切なのは、これらはどれか一つだけを取り出して当てはめて判断できるものではないということです。専門家は、これらの側面の組み合わせや、その背景にある事情までを合わせて総合的に評価します。とりわけ見落とされがちなのが、二つめの「日中への影響」です。夜眠れないことだけでなく、それが昼の暮らしにどう響いているかまで含めて捉える。この視点が国際的な枠組みでは重視されています。裏を返せば、多少寝つきが悪くても日中を無理なく過ごせているなら、必ずしも治療が要るとは限りません。ここでお伝えしたいのは、自分に線を引くための道具ではなく、専門家の「まなざし」の輪郭です。
不眠を「こじらせる」仕組み
不眠を理解するうえで、私が大切だと考えている見方があります。不眠には、「始まり」と「続いていく理由」が別々にある、という考え方です。始まりには、もともとの傾向(眠りが浅くなりやすい、心配を抱えやすいなど)と、きっかけ(強いストレスや環境の変化)が関わります。ここまでは一時的な不眠にも共通します。分かれ目になるのは、三つめ、眠れなさを「続かせてしまう」要因だと考えられています。
眠れない夜がつづくと、人はどうにか眠ろうと努力します。早めに布団に入る、眠れないまま長くベッドにとどまる、「今夜こそ眠らなければ」と身構える。ところが、この一見もっともな工夫が、かえって眠りを遠ざけることがあります。「眠らなければ」という緊張は、体を休息ではなく警戒の方向へ向けてしまうためだと考えられています。眠れないことへの不安が、次の夜の眠れなさを呼ぶ。この悪循環こそ、一時的だったはずの不眠を慢性のかたちへ変えていく主役だと理解されています。だからこそ、第1回の「眠れない=異常と思い込まない」という姿勢が効いてきます。一晩や二晩を大ごとにしすぎないこと自体が、静かな予防線になり得るのです。
一人で抱え込まないという選択
慢性的な眠りにくさは、派手な形では現れません。頭に薄い膜がかかったような重さや午後の気だるさが積み重なり、暮らしの質を少しずつ削っていきます。そして、また眠れなかったらどうしようという予期の不安そのものも、一つの苦痛になります。眠りの困りごとは、体だけでなく心の負担にもなり得る。私は、この点を軽く扱いたくありません。
眠れなさが長くつづき、日中の暮らしに影響が出てきたと感じるなら、それは我慢で押し切るものではなく、相談してよい困りごとです。慢性化した不眠に対しては、近年の国際的な考え方として、睡眠の習慣や、眠りをめぐる考え方・行動のくせに働きかける非薬物的な対処が大切に位置づけられるようになってきた、と報告されています。眠れないからといって、すぐに薬に頼るしかないわけではありません。また、眠りにくさの背景に、別の対処できる要因が隠れていることもあります。それを見きわめるには、記事だけの自己判断ではなく、医療者による評価が役に立ちます。
この記事で「これは自分のことかもしれない」と感じても、結論を急がず、次の一歩として相談を考えていただければと思います。眠れない夜は、あなたを責めるためのものではありません。それがつづいてつらいとき、一人で抱え込まなくてよい。今日は、そのことを持ち帰っていただけたらうれしく思います。次回は「眠りの問題」の地図をさらに広げ、眠りにまつわる別の困りごとへと歩を進めます。引き続きご一緒に登っていきましょう。
大切なお知らせ
本記事は一般的な健康情報の提供を目的としたものであり、特定の症状の診断や、特定の治療・商品を推奨するものではありません。文中の医学的な記述には「とされています」「と考えられています」という段階のものも含まれ、断定を避けて記しています。眠りにくさがつづいてつらい、日中の不調が生活に影響している、ご家族の眠り方が気になるといった具体的なお困りごとについては、かかりつけの医療機関や睡眠を専門とする医療機関にご相談ください。ご相談は診療内容・オンライン予約(melmo)から。
参考文献
- American Academy of Sleep Medicine. International Classification of Sleep Disorders (ICSD-3)/American Psychiatric Association. DSM-5(不眠症の診断枠組み)
- Riemann D, et al. European guideline for the diagnosis and treatment of insomnia. Journal of Sleep Research. 2017. doi:10.1111/jsr.12594
- Qaseem A, et al. Management of Chronic Insomnia Disorder in Adults: A Clinical Practice Guideline From the American College of Physicians. Annals of Internal Medicine. 2016. doi:10.7326/M15-2175
- Spielman AJ, Caruso LS, Glovinsky PB. A Behavioral Perspective on Insomnia Treatment(3Pモデル). Psychiatric Clinics of North America. 1987. doi:10.1016/S0193-953X(18)30532-X